38歳後半から頭頂部がハゲ始めた私。
ハゲ始めた頃のあるあるを綴っていきます。
主にてっぺん禿げといわれる頭頂部からの薄毛にある傾向です。てっぺんのハゲはもう本当に自分では気が付きません。
ハゲ始め初期(まだ自分で認めない)
初めてハゲてると指摘された時にネタだと思って信じない
私が初めて指摘されたのは会社の飲み会でした。
座って頭を下げて料理を食べていると、対面の同僚が「うお!てっぺん やべぇな!」とみんなの前で指摘してきたのです。
その同僚もまた薄毛で普段から薄毛である悩みを公表している人間だったので嫌味な感じではなく純粋に仲間が増えた!という感じで指摘してきました。
言われた瞬間、私は
「え?そう?大丈夫だよ?本当に?」
とむしろみんなに見せるようにして頭頂部をみんなに晒したのですが、おそらく、はげていたのでしょう。ああ恥ずかしや。
そして(ハゲと)認めない
自宅に戻って、合わせ鏡でつむじのあたりを覗いてみると、どうやら薄くなっていることが確認できました。でも手でさっと髪の流れを変えるとなんとなく隠れる。
これは加齢による、ただの毛が細くなった症状だけだ、
と自分に言い聞かせて心を落ち着かせました。
またあるときは、鏡の前で目いっぱい頭をうつむかせて、上目でギリギリ鏡を見て、まだハゲていない前部分を見て「まだ大丈夫」だと自分を慰めるのでした。
頭皮が動くからと安心している
よく巷では薄毛になるのは頭皮が凝り固まっていて、頭皮が動かないから血行不良で薄くなるといわれます。このため私は
「自分の頭皮はまだ動く」
と強引に頭皮マッサージをして頭皮を動かして、よし!これだけ動けば大丈夫と勝手に根拠のない自信で自分を無理やりごまかすのでした。
ちなみに頭皮が動くのと薄毛は関係ないそうですね。でもそういう情報は見て見ぬふりをしました。
ハゲ始め中期(うっすら認めているけど希望を捨てきれない)
鏡を見ながら薄くなったハゲの部分に髪を寄せて隠す
ソフトモヒカン風にしたり、髪を右に流したりしてハゲの部分を隠して鏡を見れば禿げていないように見えるぞ、これはつまりたまたま加齢で髪の流れが乱れてハゲに見えるだけでは!?と変な期待を寄せます。
スマホで頭頂部を撮影して禿げていない角度を確かめる
スマホを頭上にかざし、何度も撮影して、ハゲに見えない映りの写真を探して安心するように努めます。でも逆に徹底的にはげてみえる写真も目の当たりにすることになり絶望を覚えます。
窓やガラスに映る自分の頭を見て禿げていないか確かめる
廊下などで歩きながら、窓に反射する自分の頭上を横目に禿げていないか確かめては、ちょちょっと髪を手で髪を整えます。
嫁からハゲたら離婚すると言われる
髪の毛が薄くなるのを発見するのはどうやら周囲から見ても衝撃的なようで、、私の場合は嫁から離婚すると言われました(^^♪
ハゲ始め末期(もう逃れられない、対処を考える)
もう自分はハゲだ、対策しないといけないと強烈に感じる
ここまでくるともういよいよ自分でも認めざるを得なくなってきます。ここでいう末期というのはあくまでもハゲ始めの末期です。
行きつけの散髪屋で指摘され始めます。そうなるともう
「ああ自分はもう言い訳のできないハゲなのだ」
と自覚するようになります。
スマホでAGA治療の検索を真剣にし始めて、その治療費の高さにげんなりします。実際に何を今の生活で削ればミノキシジルやフィナステリドを入手できるか真剣に考えるようになります。
人がなんか会話中にチラッと頭の方をみる
これ多分、はげてるところを見られてます。
ハゲがこんなに怖いと思わなかった、世の中みんな開き直っているんだと思っていた
髪がない将来の自分を思うと戦慄します。ハゲがこわいというより徐々に禿げていくことが、まるで自分が崩れ落ちていくように感じて憂鬱になります。
これまで生きてきた人生の中で、世の中のハゲの方たちがこんな思いをしていたなんて思いもよらないと思うようになります。もっとみんな開き直って気にしていないものだと思っていました。そう思うとますます、自分よりも薄毛が進行している人に対して慈悲の気持ちと、それでも生き抜く逞しさに尊敬の念が芽生えました。
髪が束のようにごっそり抜ける夢を見る
あるとき、頭からバサッと一握りの500mlペットボトル飲料ぐらいの髪の束が抜ける夢を見ました。ギョッとしてパッと目が覚めると、嫌な脂汗が額を伝うのを感じました。
自分が座っているときに立って話しかけてくる人がいたらできるだけ薄毛部分が見えないように首を後ろにして頭を傾ける
薄毛を自覚するようになると人の視線に対しても「おっと隠さなきゃ」という反射が働くようになり、私の場合はつむじを相手の視角に収まらないように頭部を後ろにかしげるようになりました。
雨の日が怖い
雨で濡れて隠していた薄毛部分への盛髪が解けて頭皮が露わ、カッパになるところを目撃される懸念のあの緊迫感はまるで日光を恐れる吸血鬼のごとくです。
坊主頭を検討するが躊躇う
禿げたら坊主にすりゃいいや、なんていうのはまだ禿げていない人間が楽観的に考えることです。いざ自分がはげてきて、それをごまかすために坊主にする、似合わない、、急に坊主にしたら何と周囲に思われるだろう、その懸念にいてもたってもいられなくなるのです。
他のコンプレックスが吹き飛んでしまうハゲの破壊力
ハゲ。それはコンプレックスの最頂点。
それは言い過ぎなのでしょうけれども、でも、これまでの人生でいだいてきたあらゆる身体的コンプレックスを凌駕する勢いがあります。鼻の形が変、顔がでかい、ちび、目が小さい、あごがしゃくれている、とか、そういうコンプレックスを忘れて帳消しにしてしまうぐらいに薄毛のコンプレックスパワーは激しいのです、ハゲだけにはげしい。
痛いところがあればどこか別の部分をぶつけて痛さをごまかす、というような発想に準ずるほどです。
髪は神だと痛感する
そしてこれまでの人生の中、あたりまえのようにあった髪が、いかに大事な存在であったか痛感するようになります。髪は長い友と書くのに、ちっとも長くないじゃないか、せめて60歳までもってくれ俺の頭頂部の友よ。
こんなに大事な存在であることに、もうあとから思えば、髪の存在は神だった、と思うのです。